2025年4月25日
「日の丸をつけてマラソンを走りたい!」
夢を追い、現役復帰した伊澤菜々花選手の原動力

学生時代にはインターハイ優勝、高校駅伝では3年連続区間賞を獲得し、2024年にはハーフマラソンで日本歴代10位の記録を残す注目の陸上長距離選手、伊澤菜々花(スターツ陸上競技部所属)。華々しい戦績を残す一方、彼女は一度現役を引退した過去があります。決して順風満帆な競技人生ではなかった伊澤選手へのインタビューを通じて、世界を目指し競技復帰を果たすまでの想いや、原動力に迫ります。
目次
期待という名の重圧に押しつぶされた実業団時代

(写真右が伊澤選手)
──「常に結果を求められるのが実業団の世界。大学を卒業してからの8年間を振り返ると、いつも焦っていました。」
この日は午前中から、チームメイトと共に写真撮影を行っていた伊澤菜々花選手。キャプテンらしく終始笑顔で談笑し、取材班にも明るく対応していましたが、インタビューが引退当時の話題に触れた瞬間、視線を落とし、少しため息をつきます。その表情には、悩みながら走り続けた8年間の苦悩が浮かんでいました。
──「以前所属していた実業団では、入団早々に疲労骨折をしてしまい、ほとんど練習ができない日々からのスタートでした。取り戻そうと頑張って、ようやく駅伝のメンバーに選んでもらったのが4年目のとき。任された区間を日本人トップで走ったものの、8年間の実業団生活で目立った活躍といえばそのくらい。練習では走れていても、いざ本番になると力を発揮できないということが続いて、とてももどかしい日々でした」
伊澤選手が陸上の世界にのめり込んだきっかけは、10歳の頃のある経験。地元の小さな陸上大会に「走るのが得意だから」と軽い気持ちで出場したところ、1学年上の上級生に大敗。でもその"負け"が彼女に火を付けました。
──「とにかく悔しかったのを覚えています。その上級生が陸上クラブに入っていたと聞いて、『私も入る!』と負けず嫌いを発揮して、同じクラブに入ったんです。走っているうちにマラソン選手になることが夢になって、小学校を卒業するときに書いた色紙には『高橋尚子選手を超えるランナーになる』と書いていましたね(笑)」
その後、学生陸上界でめきめきと頭角を現し、高校時代にはインターハイ優勝(3000m)、全国高校駅伝3年連続区間賞獲得などの偉業を達成。さらに、世界クロスカントリー選手権では日本を代表して世界でも戦う選手に成長しました。
──「世界の舞台は細かいことを抜きにして全力でぶつかれるので、すごく楽しかったです。日本代表を勝ち取るまでは“勝つためのレース”を心掛けなければならず、自分らしい走りを封印しなければならないときもあるので、やっぱり世界一を決めるレースは別格です。世界のトップランナーと一緒に、走ることだけに集中する楽しさを高校時代に味わうことができたから、今も世界を目指して走ることができているのだと思います」

世代のトップランナーとして学生時代を駆け抜けた伊澤選手。当然、実業団でも将来を嘱望される存在でした。「ようやくマラソンの練習ができる——」。この時込み上げてきたのは、マラソンへの想い。学生陸上では身体的な負担の大きさからフルマラソンが正式種目になっていないため、ここからが夢への第一歩。本人もそう意気込んでいたといいます。しかし実際の実業団での競技生活は思い描いた夢とはほど遠く、「何が足りないのか」「なぜ本番で力が出せないのか」、もどかしい日々に、何度も自問をしたといいます。気が付けば、8年が過ぎていました。
──「本当は4年目の駅伝に選ばれなかったらやめようと思っていたんです。でもそこで選んでもらうことができたから、なんとか続けてこられたのですが……。最後は、このまま陸上を続けても活躍している自分の姿が想像できなくなって、引退を決意したんです」
伊澤選手が30歳の時のことでした。
「ここでやらなかったら、一生後悔する」——。復帰を後押しした強い思い

──「引退後は、普通に働こうと思っていました。」
8年間の実業団生活に区切りをつけたとき、伊澤選手の心には“やり切った”という実感よりも、ぽっかりとした空白が広がっていました。それでも、新しい道を歩もうと決めた彼女に、思いもよらぬ声がかかります。
「学生たちを、コーチとして支えてほしい」
大学時代の恩師からのオファーでした。競技人生に終止符を打とうとしていた矢先の誘いだったため、内心複雑な想いがありつつも、大学院に通いながら女子中長距離選手の指導にあたることを決めました。
──「正直、ありがたかったです。完全に陸上から離れる決意はしていたけど、やり切って終えた競技人生ではありませんでしたから。もしかしたら、もう一度走りたくなるかもしれない。心のどこかに、まだ消えない火があったんだと思います」
ただ、あくまで彼女はその火を、指導者としての情熱に変えようとしていました。しかし毎日毎日、目の前のトラックで練習に打ち込む学生たちを見るたび、静かに自分の中で再び競技への想いがふつふつと込みあがってくることを無視できなくなってきました。
──「自己ベスト更新に喜んだり、努力している姿を見て、やっぱり走るっていいなって、そう思うようになってきたんです」
『ちょっと、走りたくなってしまっています。』恩師にそう伝えると、まるで待っていたかのように、『練習に混ざってみたら』と返ってきました。
その言葉に背中を押され、伊澤選手は再びスパイクに紐を通しました。シューズで地面を蹴る感触、肌に当たる空気。そこには実業団時代に感じていた重圧はなく、走ることの純粋な楽しさがありました。
──「練習メニューは決して楽なものではなかったけれど、ちゃんとこなせていました。『私ってまだまだ走れるのかも』と思えた瞬間でした」
しかし、もう一度競技に戻るということは、再び結果を求められる世界に身を置くということ。苦しんできた20代の経験と、あらためて訪れる大きなプレッシャーのなかで復帰を決断できたのはなぜだったのでしょうか。
──「もしここでやらなかったら、きっとこの先、一生後悔するなって思ったんです。やっぱり、マラソンで世界を目指してみたい。もう一度全力でやってみて、それでもダメなら納得がいく。その気持ちに賭けて、もう一回チャレンジすることを決めました」
次は結果のためではなく、自分の気持ちのために走る、そう決めた33歳での復帰。たとえ傷つくことがあっても、覚悟はできていました。
12年ぶりの自己ベスト更新。強い心が引き寄せた快進撃

復帰後の目標は、「マラソンで日の丸を付ける」こと。世界への夢を再び掲げた伊澤選手が復帰先として見つけたのが、スターツ陸上競技部でした。
──「ちょうど監督が交代するタイミングで、選手やスタッフも入れ替わり、新体制のスタートを切ろうとしているところだと聞きました。出来上がったチームに入るよりも、新しくチームを作る過程に身を置く方が自分に合っていると考えました。それまでのスターツにはマラソンに強い選手もいたし、駅伝でもしっかり結果を出していて、幅広い種目でチャレンジできるだろうと感じたのも、スターツを選んだ理由です」
弘山監督との面談の際には、なんとしてでも入部を勝ち取るため、とにかく強気でアピールした、と覚悟を決めた当時の思いを振り返ります。
「3カ月しっかり練習すれば5000mで15分台はすぐに出せます!」「新しいチームのキャプテンは任せてください!」陸上人生を賭けた、強気な売り込みでした。
無事に入部が決まるも、チームに合流した直後、肉離れにより3カ月の離脱。以前所属していた実業団時代と同じく、怪我からのスタート。練習ができず、チームメイトの練習についていけない苦しい日々。それでもめげることはありませんでした。
──「一度やめたからこそ気づけたんです。やっぱり私は、つくづく走ることが好きなんだなって。苦しい練習も、結果も、再び走れる喜びのなかでは前向きに受け止められました。それに、年長者として、私が結果を出して、みんなを引っ張っていかないと。それがこれからの私の役目だと思えたのも、新しいモチベーションになりました」

リハビリから復帰した後の練習では好タイムを連発。2024年の秋の大会の5000mでは面談で宣言した15分台を見事に達成し、12年ぶりに自己ベストを更新しました。勢いは止まらず、その後、10000mとハーフマラソンでも自己新記録をマーク。自らの殻を破り、まさに“復活”を体現しました。他でもない弘山監督も、その急成長ぶりに心を動かされたといいます。
「大阪国際女子マラソンに出てみるか」弘山監督からの打診は、まさに青天の霹靂でした。
──「マラソンはカラダ作りが重要なので、入部から夏までは『今年度はマラソンはやらせない』と監督から言われていました。だからこそ、とても嬉しかったです。練習ではとても良いペースが刻めていて、1月の本番では優勝を狙える自信もありました」
結果は目標に遠く及ばず、2時間29分28秒で8位。思い描いていたゴールではありませんでした。
──「まだまだ納得のいく結果ではありませんが、自分に足りないものが明確になりました。その実感があるから、今は前向きに取り組めています」
キャプテンとして、結果でチームを引っ張りたい

次のマラソンシーズンを控えたいま、トラック競技を中心に練習に打ち込む伊澤選手。その背中には、キャプテンとしてチームを引っ張るという責任も見えます。
──「2024年に新しくスタートしたスターツ陸上競技部は、若い選手が多くて、最初はチームというよりも個の集まりのようでした。厳しい言い方ですが、甘さもあったと思います」
だからこそ、彼女はチームの仲間に伝えます。
──「自分の好きな陸上競技をさせてもらっていること、そしてこの恵まれた環境は当たり前じゃないんだよ、という話をいつもしています。他人任せではなく、1人ひとりが自分の目標やチームのために何ができるかを考えていくことで、チーム全体の意識が高まってくれたらと思っています」
現在の環境を自ら切り拓いてきた伊澤選手。朝一番にグラウンドへ立ち、練習メニューを誰よりも真剣にこなす。伊澤選手のその姿は、言葉以上に雄弁にチームのあり方を示しています。
──「私が一番年上で、キャプテンでもあるからこそ、まずは私自身が結果を出す。その姿を見て、チームメイトが付いてきてくれるような存在でありたいと思います」
とはいえ、現実は厳しく、直近の大会では思うような結果を残せませんでした。それでも伊澤選手は顔を上げ、前を向きます。
──「7月の日本選手権(5000m)でいいタイムを出せれば、世界選手権の切符が見えてきます。いまはそこに向けて集中しています!」

周囲に期待されながらも結果が出せず、一度は引退を選んだ伊澤選手。しかし、夢を追う気持ちに突き動かされ、再び立ち上がりました。かつて焦りの中で走っていた姿はもうありません。その強い意思と挑戦する勇気が、きっと彼女を新たな舞台へと導いてくれるはず。そして彼女の挑戦は、スターツ陸上競技部にとどまらず、日本マラソン界全体にも勇気を与えることでしょう。伊澤選手の今後の活躍から、目が離せません。
>>弘山監督が伊澤選手を語った第44回大阪国際女子マラソンレポートもあわせてご覧ください。
夢に向かって走った憧れのマラソン ~伊澤菜々花の挑戦の始まり~(その1)/
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