2025年11月06日
スケートボード・パーク女子草木ひなの選手の原点。
貫く、自分だけの“スタイル”
世界で活躍するスケートボーダー、草木ひなの選手。そのアグレッシブな“スタイル”と、大舞台で輝きを放つ強靭な”勝負強さ”が彼女の持ち味。原点である茨城県笠間市のスケートパーク「AXIS」での日々と、スケートボードとの出会い。そして、強さの裏に隠された彼女の素顔と、未来へ向ける真っ直ぐな眼差しを深堀りします。
目次
「大っ嫌い」から始まったスケートボード人生
ボードを抱える草木選手(当時10歳)
草木ひなの選手がスケートボードと出会ったのは8歳の頃。母親がスケートボードを楽しむ姿を見て、自然と興味を持ったのが始まりだったといいます。しかし、彼女のスケートボード人生は、意外にも「大っ嫌い」という感情からスタートしました。
草木───「お母さんがうまかったから、負けず嫌いな性格が出ちゃって。さらに、周りの友だちと一緒に滑った時に、自分だけレベルが低くて、『みんなこんな簡単にできてるのに』って、それも悔しくて(笑)」
母親や周りの子たちに負けたくない。その強い思いを後押ししたのが、笠間市出身である彼女の地元のスケートパーク「AXIS」の存在です。
草木───「AXISはプロのスケーターも訪れる本格的なパークで、東京や海外からもスケーターが集まる聖地的な存在です。すごくかっこいいスケーターばかりで、『この人たちみたいになりたい』と思ったのが、スケボーを本格的にやるようになったきっかけです。AXISの人たちも『一緒に滑ろうよ』と声をかけてくれて、そこからどんどんハマっていきましたね」
年齢も性別も関係なく、ただひたすらに自分のスタイルを追求する大人たちの姿は、幼い草木選手の心を強く惹きつけました。「うまくなりたい」「かっこよくなりたい」。負けず嫌いから生まれた純粋な憧れは、いつしかスケートボードへの情熱へと昇華されていきました。
夜遅くまで練習に励む草木選手(当時11歳)
“攻めのスタイル”を育んだホームパーク「AXIS」での日々
当時小学生の彼女にとって、「AXIS」という環境は少し背伸びしたコミュニティでした。周りにいる大人たちが、スケーターとしても、ひとりの人間としても、彼女の価値観を大きく広げました。
草木───「習い事というよりも、遊びの感覚でみんなと滑っていたんですけど、3、40代の大人たちに遊んでもらうって、かなり貴重な経験ですよね。自然と、同世代の他の人とは違う感覚が育まれていったような気がしています」
そんな「AXIS」には、独特の価値観が根付いていました。それは、失敗を恐れずに挑戦することこそが美しい、という”スタイル”でした。
草木───「例えば大会の舞台。ポイントが拮抗していて、確実性の高い技を決めれば同点、攻めた技なら追い抜ける。そんなとき、中途半端に終わるくらいなら、チャレンジしようっていうスタイルなんです。その結果、盛大に転んでもいい。本当にかっこいいのはチャレンジをする姿勢だと教わりました」
この“攻めの精神”と大人顔負けのスピードから、メディアが付けた愛称は「鬼姫」。大技に果敢に挑み、たとえ転んでも立ち上がって再び挑むアグレッシブなプレースタイルは、この場所で育まれたのです。
また、彼女の才能をいち早く見抜き、サポートしてくれたのも「AXIS」の仲間たちでした。スタッフが撮影・編集してくれた映像がきっかけとなり、小学6年生にしてスポンサーを獲得。彼女の周りには、いつも温かく、そして力強く背中を押してくれる人々の姿がありました。最高の環境が、彼女を世界の舞台へと押し上げたのです。
初めて味わった挫折。どん底で気づいた「自分らしさ」
順風満帆に見えた競技人生でしたが、大きな壁にぶつかる時が来ます。世界の舞台である「X Games」に初めて出場したときのこと。まるで結果が振るわず、彼女の心は一度完全に折れてしまいました。
草木───「他の出場選手たちは滑ったことがあるパークで、自分1人だけ初めてだったんです。みんなはそれぞれのルーティンが完成している中で、自分はゼロスタート。全くうまく滑れず、すごくネガティブな気持ちになってしまいました」
スケジュールの都合で練習時間も思うように取れず、本番でもミスを連発。初めて味わうどん底でした。しかし、この経験が彼女を精神的に大きく成長させます。
草木───「どん底まで落ちたら、あとは上がるだけ!ってみんなが励ましてくれて。確かにもう終わったことですし、悔しさを糧にやるべきことやるだけ!と気持ちをなんとか切り替えて大会後はひたすら練習しました」
この挫折は、もう一つ大切なことを教えてくれました。それは、「自分らしさ」を貫くことの重要性です。この大会での結果を受け、草木選手は自分のスタイルに迷いを生じていました。得意な空中技(エアー)だけでなく、他の選手のスタイルを取り入れようと試行錯誤するうちに、本来の良さを見失いかけていたのです。そんな時、友人の父親からかけられた言葉が、彼女の目を覚まさせました。
草木───「『ひなのの滑りがなくなっちゃってるよね』と言われて、はっとしました。『ひなのの良さを爆発的に伸ばしていけばいい。自分のスタイルを追求していけば、勝てるようになるよ』って。その言葉があったから、自分のスタイルを信じて突き進もうって決意できたんです」
遊び心を忘れずに。次世代へ伝えたいスケートボードの本当の魅力
草木選手を語る上で欠かせない技があります。代名詞とも言える、一回転半の大技「ファイブフォーティ」です。その習得には1年近い歳月を要したといいます。何度も転び、身体は痣だらけになったとか。それでも諦めなかったのは、仲間の存在があったからです。
草木───「初めて技が成功した日は、練習仲間たちと笠間にいて、母の日が近かったから『今日絶対乗る!』(乗る=技を決める)と決めて、足が上がらなくなるくらいまで挑戦したことを覚えています。みんなすごく応援してくれて、モチベーションになりましたね。『絶対乗れる、もう乗れる』って言われて、その日、やっと乗れたんです。難しいことに挑戦する大切さと楽しさをファイブフォーティが教えてくれました」
多くの人に支えられて掴んだ技だからこそ、特別な思い入れがあるそうです。この経験を経た草木選手だからこそ、今、スケートボードを始めた子どもたちに伝えられることがあるといいます。
草木───「今の子どもたちはスケートボード=習い事という環境があるから、『練習、練習』っていう頭になっていると思っています。もちろん、練習は大切なんですけど、私は習い事というよりも遊び感覚でやってきたから、スケートボードの遊びとしての楽しさも、もっと知ってほしいと思います」
スケートボードは技の難易度や点数だけが全てではありません。一人ひとり違う「スタイル」を表現できることこそが、スケートボードの最大の魅力だと草木選手は言います。
草木───「習い事としてとらえると、大会の審査を見据えた技ばかり得意になってしまいがち。いろんな人と交流して自分のスタイルを追求すると、もっとスケートボードが楽しくなってくると思うんですよね。他の人と比べられても、『自分のスタイルが一番かっこいい』って自信を持って言えるスケーターになってほしいし、私も目指していきたいと思っています」
2024年に草木選手はスターツと所属契約を結び、それから1年以上たちましたが、"楽しむ心を忘れない"そのシンプルな想いが、彼女を輝かせ続ける原動力であることは変わりません。これからも彼女は、遊び心を胸に、自分だけのスタイルを追求し、世界の空へと高く舞い上がります。